Oberlin life 〜アメリカ大学留学記〜

アメリカ、オハイオ州にあるオーバリン大学の1年生です。人口8000人の小さな街での大学生活について綴っています。

私にとっての日本

梅雨で微妙な天気が続いていますね。天候のせいなのか、段々とインターン等の疲れも出て来ているのか、なかなかやる気が出ません。リサーチの仕事が溜まる〜!!

 

それでも、早くも日本滞在1ヶ月経過。あと2ヶ月もありません。次いつ帰ってくるかは未定なので、今の時間を大事にしたいところですが、早くオーバリンに戻りたい気持ちの方が大きいです。というわけで、私にとって今、日本って?という話をしたいと思います。

 

帰国子女で、現在海外在住3カ国目と言うと、人生ほとんど海外だと勘違いされがちですが、私は、人生の半分以上、いや、3分の2近くを日本で過ごしました。今まで数えて日本滞在は12年ほど、に対して海外が8年くらいです。そんな私ですが、直近4年以上を海外で過ごして来ました。(その前はと言うと、義務教育は1年生の1学期をのぞいて全て日本、そして生まれてから3歳までも日本です。)

言語的には、日本語でも英語でも不自由なく生活でき、勉強もある程度(自分の興味のある分野の論文を読む、本を読む、微積分の前段階までの数学、等)はこなせます。少しのばらつきはあるものの(日本語のライティングが極端に苦手、数学は難しくなると英語でしかできない)バランスバイリンガルになるべく頑張って来ました。

 

しかし、文化、アイデンティティ面で言うと、かなり今まで色々な段階を踏んで今に至ります。そんなところを少し書いていきつつ、今の私にとっての日本についても書きたいと思います。

 

 

アフリカで過ごした幼少期

私が初めて日本を出たのは3歳の時、アフリカ北部にある小国、チュニジアへの引っ越しがきっかけでした。今まで日本で生まれ育ち、保育園に通い、外国というものの存在も知っていたか危うい3歳児が、突然アフリカへ。そんな年齢で行って記憶があるのかとよく聞かれますが、かなり強烈な経験だったからか、しっかり覚えています。いや、その前の日本での保育園時代の記憶もあるので単に記憶力が良いだけかもしれません。

その国で、私はアメリカンスクールに通っていました。今まで英語に触れたことすらなかった私が、幼稚園から高校の全校で日本人2人の環境へ。最初の1年は全く喋らなかったそうです。が、そこは耳が良かったのか?2年目に突然喋るようになった日のことは今でもはっきりと覚えています。

でも、チュニジア生活を心から楽しめるようになったのは3年目、最後の年かもしれません。最後の1年は、良い友達もでき、かなり学校生活を楽しんでいた気がします。

でも、当時はかなり日本への憧れの気持ちも大きかったです。学校は違ったものの、仲の良かった日本人の子達が次々に帰国して行ったり、進研ゼミで届く教材で入学式の様子を見てキラキラしたそれにすごく憧れたり。ランドセルとかたまごっちとか、日本にいる同年代の子たちにとっては当たり前のものが一切手に入らない環境で、羨ましくなっていたのもあると思います。

 

日本の公立小学校で過ごした5年半

小学校1年生の途中で、私は念願の日本帰国をしました。チュニジアも最後の一年はかなり楽しかったのですが、それでも憧れのランドセル、嬉しかったのをすごく覚えています。

そこで転入したのが近所の公立小学校。帰国子女や外国人児童など全くと行っていいほどいない、何代も地元に住んでいる家族の多い地域です。最初は転入生ということに珍しさを覚え、色々な子が寄ってきて遊んでいましたがほとぼりも冷め、学年が上がるごとに友達関係が大変になっていきました。英語ができるとか、海外にいたということに嫉妬されたり、アメリカンスクールと比べて自由のきかない日本の学校に憤りを覚えたり。息苦しさは感じていて、次に父が海外赴任することを割と心待ちにしていた時期です。

また、英語力保持のため、ネイティブの先生とのレッスンに通ったり、小学校6年生で一人でカナダにホームステイに行ったりもしました。

 

私立の学校で過ごした中学時代

その後、学校公開で見た公立中学校の英語の授業のレベルに驚いたのをきっかけに、中学受験をすることになりました。スパンは短く、英語に力を入れているところに絞って受験し、進学。でも、その3年間は大変でした。

ただでさえ中学生というのは人間関係等が一番難しいとよく言われます。それに加え、やはり帰国子女であるということ、苦労せずに英語を身に付けたと思われたり、嫉妬にあったり、うまく空気が読めていなかったり。

ただ、この中学時代は、小学校の頃と比べて、日本に居たくないとは思って居ませんでした。つらくても、海外に行きたいとはあまり思わず、むしろ日本に居たい、自分が帰国子女であることを隠したいと思って居ました。帰国からかなり年数が経ち、日本以外とのコネクションがだいぶ切れていたのと、周りと一緒でありたいという思いが強かったのかもしれません。

 

青天の霹靂!東南アジアで過ごした高校時代

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そんな私でしたが、高校生になると同時に今度はベトナムに引っ越すことになります。これは大きな変化でした。チュニジアで身に付けた英語、特に発音はかなり保っていて自信を持っていたのですが、いざインターナショナルスクールを受験してみると、全くできない、、、面接で気に入ってもらえて救われ、なんとか入学しました。

そんな状態なので、最初は授業もよくわからず、友達の会話もスピード感についていけず。ずっと日本では英語上手とチヤホヤされてきたからこそ、かなりの挫折だったと思います。しかも編入先の学校は1学年10人の新設校。英語にも苦労し、周りに日本人0、みんな仲良しの状態に1人で入っていく、、、今考えてもよくやったなって感じです。

なので、最初の頃は、つらい、帰りたい、としか思っていませんでした。大学も、こんな状態では海外なんかに行けるわけないと思っていたし、人生で初めて、J-popにハマりました。それほど日本を欲していたんです。

それでも、少し経ったら昔の勘が戻ったのか、グッと英語力も成績も伸び、友達もでき。2年目は特に楽しかった気がします。

ただ、向こうに慣れるのと反比例するかのように、日本への嫌悪感も高まっていきました。向こうに慣れれば慣れるほど、一時帰国時に感じる違和感。周りは自分のことを理解してくれない(それはそうですよね、ベトナムのインターナショナルスクールのことなんて誰もわからないし)とか、逆に日本での話されてもわからないし。外から見たからこそ目についた日本の悪い点とかもあったり、インターのディスカッションベースの自由な雰囲気に慣れてしまって、日本の学校の堅苦しさを感じたり。

進路について真剣に考え始めた時も、アメリカンスクールからだと海外大学の方が行きやすかったのはありますが、それと同時に、日本の大学に馴染める気がしなかったというのが大きかったです。最初は苦労もあったものの、インターの感じが肌に合っていたというか、その環境がすごく好きだと強く感じました。自由というだけでなく、自分の意見が尊重され、自分の頭で考えることに重きの置かれた授業は、知識詰め込み型、講義型の日本と違って新鮮で、自分の身になっているということを強く実感しました。

 

今、アメリカで大学生をしていて思うこと

そして、現在。オーバリンに進学して、私は全く後悔していません!オーバリンが大好きだし、楽しいです。

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でも、この夏帰ってきて、今までとはまた、日本での自分の立ち位置が変わったなと感じました。今までは、日本にいる間、自分の一番前面に出ているラベルは、「帰国子女」でした。周りも、親の都合でよくわからない国に行っている子、みたいな感じで見ていたと思います。

それに対し、今は「海外大生」、「アメリカ留学」という、新たなラベルというか、肩書きが前面に出るようになりました。これ、周りの目が全く変わります。大学留学というだけでお金持ちだと思われたり、英語を勉強するために行っていると思われたり、アメリカならわかる!と詳しい場所を聞いてくる人がいたり(それで日本では知られていないオハイオの名前出すと大したことない大学に行っていると思われたり)。

「チュニジアとベトナムの帰国子女」よりは「アメリカ留学」の方が圧倒的に数が多いからこそ、周りも色々とイメージを持っていたりするなと思いました。また、自分がマイノリティーであることに慣れすぎて、マジョリティー(ではないけど、今までと比べて)であることにすごい違和感があったりもします。

また、日本自体への気持ちは、高校時代とあまり変わらないというか、今はしばらく本帰国はしなくていいやという感じです。

 

少し細かく、私のバックグラウンドと、日本への思いについて書いてみました。今も昔も、日本が母国であることは変わりませんし、何かあっても、とりあえず滞在できる国は日本だけです。そういう意味で、日本は他の国とは違う存在であることは事実です。

でも、今の私にとっては、日本がベストな環境ではないと思っているので、暫くは海外で頑張るつもりです。