Oberlin life 〜アメリカ大学留学記〜

アメリカ、オハイオ州にあるオーバリン大学の1年生です。人口8000人の小さな街での大学生活について綴っています。

言語に見る日米の文化の違い

こんにちは。

 

以前、授業紹介の記事で書きましたが、私は今学期、日本語教授法の授業を取っています。この授業はmoduleコースといって、一学期の半分の期間で行われ、単位も半分なので、来週で終了です。

 

生徒数5人とかなりこじんまりとしていたこの授業、内容も面白くて終わってしまうのが寂しいですが、朝8時の授業に行かなくていいのは嬉しいです。睡眠時間が増えます😊

 

ちなみに朝8時の授業はかなり少ないため、外を歩いている人は殆どいません。でも、オーバリンは朝焼けが異様に綺麗なので、朝、人のいない中すごい綺麗な景色を見つつ授業に行けるのはすごく満足感があります。

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ちなみに昨日の朝の景色。こんなに綺麗だったのに、その後雨が降り、1時間後にはこんな。

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そして夕方には雷雨でした。

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少し話が逸れましたが、今日はその日本語教授法の授業で学んだことを元に最近考えていることについて書きたいと思います。

 

日本語教授法の授業では、単に日本語の教え方を学ぶだけでなく、言語教育についてや、第二言語へのアプローチ、母語と外国語の関係等にも触れました。初めは言語を学ぶとは、言語ができるとは、どういうことなのか、というかなり大きい質問から始まりました。

 

 難しいですよね。答えは一つではないし、そもそもその言語を学ぶ目的によっても変わってくると思います。ただその国の人と会話がしたいのか、旅行なのか留学なのか、はたまたその国について研究がしたいのか。会話や旅行なら読み書きはあまり重要ではないかもしれませんし、研究職なら読み書きが中心でしょう。そんな話をしつつ、言語学習に影響を与える様々なファクター、要因についても学びました。例えば、年齢。低年齢のうちの方が言語学習にはいいのではないか、と言われていますが、個人的に、自分の経験や海外でたくさん見てきた日英バイリンガルの子達の様子から言うと、自分の母語がある程度発達している状態で第二言語を入れた方が伸びるのではないかと思っています。きちんと論理的思考ができる言語がベースとしてある、と言うのは将来的に役に立つと個人的には思っているため、ベースがあることは大事だなと思います。

 

この授業ではその後、様々な言語の教授法について学び、最後には模擬授業を、教案を書いた上で行います。ですが、今日の記事ではこの授業を通して今まで以上に自分の言語使用に敏感になった結果、気づいたことについて書きたいと思います。

 

タイトルにもありますが、日米の文化の違い。先日アメリカにきて驚いたことという記事も書いたように、日本とアメリカには違う点がたくさんありますが、その多くは言語や、言語を使う時の仕草に現れているように思います。

 

まず気づいたのが、「〜と思います」というフレーズを日本語では多用している点です。私も自分のブログでこのフレーズを何度も使っていますが、日本では、「〜です。」というよりも、「〜と思います。」や、「〜んです。」というフレーズをよく使うと思います。これは、日本人の、もし言ったことが間違ってたら申し訳ない、という配慮がよく現れているように思います。私はこの思考からなかなか抜け出せず、英語で書くときも"I think〜"のフレーズをよく使ってしまいますが、周りを見てみるとこのフレーズの使用頻度はそこまで高くないのかなと思います。実際に、アメリカでは確信の持てない事柄に関して、日本人よりも自信を持って話している人が多いと思います。Fake it till you make it(できるまではできるフリをしなさい)には個人的には大いに賛成なのですが、それでも私は思考回路は日本人なのか自信なく「〜だと思います。」ということが多い気がします。

 

続いて、わかりやすいのが敬語、目上の人への話し方です。私は日本語教授法の最終プロジェクトの模擬授業で謙譲語を教えるのですが、英語にないコンセプトを説明するのは非常に難しいです。こっちでは教授にもかなり気さくにHiと話しかけますし、みんなそこまで相手によって言葉遣いを変えるという事はしないのかもしれません。それに伴って大学に来てびっくりしたのが、教授をファーストネームで呼ぶ事。これは教授によって好みもあるので一概には言えませんが、ファーストネームで呼んでね、という教授もかなり多いです。そして、目上の人への言語使用と同時に大きな違いがジェスチャーや仕草です。日本では先生や先輩に手を振る事はほとんどない気がしますが、こっちではそれが普通で、お辞儀なんてしたら何をしてるのかと不思議な目で見られるでしょう。そもそも上下関係というコンセプトがあまりないため、私の今一番仲良い友達はみんな4年生だったり、日米の文化の違い、というのが言語使用にも顕著に現れている気がします。

 

また、これも有名な話ではありますが、文章の組み立て方も大きく異なります。アメリカでは、必ず主張が最初に来ます。それに対して、日本では理由を説明して、お膳立てをしてから主張を持ってくることが多い気がします。具体的に言うと、英語では"A because B"の順番なのに対し、日本語では「BだからA」の構文が多いと思います。これは、日本と比べると特に、個人の主張を大事にするアメリカの文化をよく現していると思います。また、私は日本に慣れすぎたのか、英語を書いているときにも理由を先に書いてしまうことがしばしばあります。教授には、文法的にも間違っていないし、読みやすい文章だけど、なんか違うのよねと言われたこともありました。最初は何を指摘されているのかよくわからなかったのですが、最近、徐々にわかるようになって来ました。

 

これらを踏まえて、最近よく、完璧なバイリンガルってどう言う人のことを言うのか、よく考えます。全ての言語で文法や語彙や発音の難易度が同じならば、比較は簡単で、学習者の各言語の能力を測ることができます。しかし、言語によって発音が難しい言語、文法や文章構成が難解な言語、書くのが難しい言語、等色々あります。更には、上記のように各言語の裏にはその言語に紐づけられた文化があります。それらを理解した上で言語の能力はどうやって測るのか、と言うのはまた非常に難しい問題です。

 

私は日英バイリンガルを名乗っていますが、それでもどちらの言語も不完全だと思っています。例えば、私は何か仕事やプログラムに応募するとき、英語のアプリケーションならスラスラ書け、大抵うまくいきます。それに対し、日本語だと言葉がつまり、あまりうまくいきません。でもこれは、必ずしも私の日本語のライティングが英語に劣っているからとは言えないのかもしれません。アプリケーション、と言うのは自分のアピールをする場です。でも私の中で、日本にいる間は自己主張をすべきでない、謙虚でいるのが美徳、と言う刷り込みがあります。そのせいか、日本語で自分のことを主張するときに、どこまで言っていいのか、どのようにして言えばいいのか、と言うことですごく悩んでしまい、結果進まなくなってしまいます。

 

逆に、読書は絶対的に日本語の方が速いです。フィクションでもノンフィクションでも、日本語で読むと、大抵の本は2、3時間で読み終わります。そして、それと比べてしまうからか、英語で読むと一生かかる気がしてしまって、気が遠くなります。でも、論文を読むとなると別です。日本語の論文を読み慣れていないため、英語の論文の方が速く、確実に必要な情報が読み取れます。日本語の論文は一目見て投げ出したくなることもしばしばです。

 

このように、たとえどれだけ多言語を学び、その全てのレベルを保持しようと努力したとしても、細かい要素を見ていけば、言語間で差が生まれるのは致し方ないことだと思います。言語と文化は深く結びついているため、英語圏の国ではよくあるシチュエーションや会話が日本ではありえない、とか、逆に日本では普通な会話が他の国では普通ではなかったり、、、だから、結局、言語の能力って単純に比較することはできないんだなと思います。難しいけど、自分で納得のいくレベルのバイリンガル目指して頑張ります。

 

言語に関連して、アメリカに来てから、留学生の英語で苦労する意外なポイントにも気づいたので、今度はそれについても書きたいと思います。

 

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