Oberlin life 〜アメリカ大学留学記〜

アメリカ、オハイオ州にあるオーバリン大学の1年生です。人口8000人の小さな街での大学生活について綴っています。

「好き」と言えるのは、「嫌い」と向き合ったから

あけましておめでとうございます!年が明けてだいぶ経ってしまいましたが、1月4日の仕事始め以来バタバタしていて、やっと生活リズムが落ち着いてきました。

2020年の振り返り記事も書いているのですが、それよりどうしても書きたいことがあってパソコンに向かっています。

 

オーバリンはコロナの影響で春学期の開始が1ヶ月遅れることになりました。なので、私はお仕事をしたり、プロジェクトをしたりしながら日々を送っています。いま特に忙しいのがアドミッションのお仕事で、出願締め切りを数日後に控え、日々多くの受験生の面接にあたっています。

 

面接ではいつも最後に受験生からの質問に答える時間を設けているのですが、そこではよく大学の好きなところや好きじゃないところ、私の経験を聞かれます。今日もそんな風に話を進めていたのですが、私の答えを聞いた高校生に、

「オーバリンのことが本当に大好きなんですね」

と言われました。これに少し、私自身びっくりしました。もうこの時期なので、この高校生はうちの大学や、他大学の説明会、面接等を色々と経験してきています。ということは、現役学生の体験談を聞くのも初めてではないはずです。そして、そういう場で話す人たちというのは誰もがキラキラとした経験談を話します。それに慣れているだろう高校生に、私の大好きが伝わったということに驚きました。

 

それと同時に、自分のオーバリンへの「好き」という気持ちに改めて向き合い、色々と考えさせられました。

そもそもの前提として、私はオーバリンが大好きです。じゃなければこうしてブログでオーバリンについて発信したり、アドミッションで働いて受験生を増やす活動をしたりはしていないと思います。

でも、その「好き」と同じくらい、「つらい」「嫌だ」と思うこともたくさん経験してきました。それでも、「好き」を発信し続けられるのは何故なんだろうと考えたときに、ある意味そうした「嫌い」「つらい」というものを経験し、向き合ってきたからなのではないかと感じました。

 

実は約1年前、私はオーバリンを3年で卒業しようと考えていました。もしその計画を遂行していれば、今年の春には卒業予定でした。

その理由としては、もう大学でできることはし尽くした、日々忙しいのにマンネリ化している、親しい友達がみんな卒業してしまった、と言った小さいこともあれば、大学の学生の思考・考え方に同意できないということや、大学やこの国で日々目にする差別・マイクロアグレッション、と言った大きいこともありました。

 

とはいえ1年早く卒業するというのは大きな決断です。考え始めてしばらくして、大学で1番信頼している、なんでも話せる教授に相談しに行きました。この教授との関係については、それだけで本一冊書けてしまいそうなくらいお世話になっているのでここでは省きますが、教授は私の意見を尊重しながら、もう少し考えてみたら?と新たな考え方や質問を投げてくれました。

それと同時に、この人に相談してみたら、と大学のディーンを紹介してくれました、ディーン(Dean of arts and sciences)は、教授より上の立場で大学の運営やカリキュラムに関わるポジションの方々なのですが、そのうちの1人を紹介してもらい、お話ししました。

 

その会話の細かいことは書きません。でも、そこでまた、一歩、考えるきっかけをもらいました。大学のディーン、いわゆる運営側に立つ人と接したのは初めてだったのですが、その立場にいる理由がよくわかる頭の良さというか、聞いてくださった質問一つ一つにハッとさせられました。

最終的に、卒業時期に関しては、どちらを選択しても良い選択だと思うって言ってもらい、また色々と悩んで、4年間いようと決意したのですが、このミーティングで言われたことで、いまだに忘れられないことがあります。

 

「もし1年長くオーバリンで過ごすことにしたら、その決断をしたことを、オーバリンは決して後悔させない」

そう言われました。でも、これを額面通りに受け取ったから4年間いようと決意したわけではありません。もしそうしたら、うまくいかないことがあったときに、自分で責任を取らなくなると思います。人の言ったことで決断を下すことの危険性は理解してるつもりです。

 

しかし、この言葉が私の中に残り続けているのには2つ理由があります。

1つ目は、大学の運営、アドミニストレーションの立場に立つ人が、大学にそこまでの自信を持っていることが嬉しかったこと。そりゃそうでしょ、学生に対してネガティブなこと言うわけがない、と思う人もいるかもしれません。でも、この会話で感じたのは、このディーンは私に対個人として接してくれていたこと、そして自分が持っているポジションからではなく、個人の経験からお話ししてくれていたことでした。だから、この言葉が出てきたのは純粋に嬉しかったです。

そして2つ目が、4年目をここで過ごすと決めるからには、後悔しませんでしたと胸を張って言えるように、オーバリンにある機会を残さず掴み取って充実した時間を過ごしてやると改めて決意できたことです。このディーンの言葉の裏には、おそらく、機会はある、だからそれを掴むかは自分次第、と言う部分が隠れていると思います。だから、それをきちんと自分のものにしよう、そう思わせてくれました。

 

そんな会話も経て、大学3年目をいま過ごしています。コロナ禍でつらいことは多いけど、3年生になってからした経験の多さには、自分でも驚くくらいです。2年目の半ばでもうやり尽くしたと言っていた自分が恥ずかしいくらい、探せばまだまだ機会は転がっていて。そしてつらく苦しくなったときには、手を差し伸べてくれる人たちにもたくさん出会いました。

 

まだ大学生活も半分ちょっと終わったところですが、こうやって「嫌い」「つらい」と向き合ったからこそ出会えた「好き」は、だからこそ、高校生にも伝わるものになってきたのかなと思います。

 

まだあと1年半ある大学生活。これからもきっと出てくる「嫌い」と向き合って「好き」を増やしていきたいです。