Oberlin life 〜アメリカ大学留学記〜

アメリカ、オハイオ州にあるオーバリン大学の1年生です。人口8000人の小さな街での大学生活について綴っています。

オーバリンの歴史

こんにちは!

 

今学期、オーバリンの口述史の授業を取っています。このクラスでは、オーバリンの街で黒人女性として初めて公立校教師になった人の人生に焦点を当て、彼女のことを覚えている人たちにインタビューしたりして最終的にウェブサイトを作り上げるというものです。今年度初めて開講され、これから毎年新しいメンバーでウェブサイトを大きくしていくみたいです。なので、授業というか大きなプロジェクトの一環、という面白いクラスです。

 

そのクラスで、プロジェクトを始める前に基礎知識をつけるという意味合いから、オーバリンの歴史の本を読んだり、論文を読んだりしてきました。このクラス、最初の頃はリーディングの量が多くてあまり好きではなかったのですが(1日100ページはザラでした)気がついたらかなりオーバリンの歴史に引き込まれ、最近は個人でも調べたりしています。

ryooberlin.hatenablog.com

(ちなみに、この授業のための本を手に入れるまでのドラマはこちらから)

 

この記事ではオーバリンの大まかな歴史を、日本との関わりに焦点を当てて書いていきたいと思います。

 

  • 創立

オーバリンの街と大学は共に1833年に創立されました。そして、2年後、様々な運動、奴隷制度反対派の後押しを受け、オーバリン大学はその門戸を全ての人種の学生に開きます。これは、アメリカの大学としては初めてのことでした。オーバリンは全米で初めての黒人学生、女子学生を受け入れた、非常に先進的な歴史で知られています。当時、奴隷として働かされていた人たちが北へと逃げるunderground railroadという隠れた通路がありましたが、その重要な終着地点の1つもオーバリンにありました。

 

  • 融合と分断

一般的に知られているオーバリンの歴史、というのは人種や性別の壁をいち早く取り払い、先進的な教育をした、という部分で終わります。しかし、実際にはその後、世間の南北戦争の波に押され、オーバリンはその先進的な始まりから逆行するようにして分断の道を辿ります。黒人学生は寮に住むことを許されなかったり、食堂ではテーブルが分かれていたり。そういった歴史も乗り越えていま、オーバリンは先進的で多様な大学として知られているのです。

 

  • 日本との関係

ここには書ききれないくらい深いオーバリンの歴史ですが、ここでは日本との関係、オーバリンの日本人学生たちに焦点を当てたいと思います。

 

日本の歴史の授業ではあまり扱われない気がしますが、第二次世界大戦時代、アメリカにいた日本人、日系人は収容所での生活を余儀なくされました。そんな人たちを戦後、いち早く受け入れたのがオーバリンでした。

 

また、1940年代にオーバリンの神学部の学生を中心に、人種ごとに分かれた街の理髪店に対する反対運動が起こり、新たな、人種を問わない理髪店ができたとき、そこの最初の理容師は日系の方でした。

 

少し話は遡りますが、戦前にもオーバリンに留学していた日本人の学生は多くいました。

 

日本にある、桜美林学園の創立者、清水安三もその1人です。清水安三は中国で1920年に崇貞学園を創立した後に渡米し、オーバリン大学の神学部で学びました。そして、オーバリンの創立の礎となった学而事人、学んだことを元に世に仕える、をモットーに日本の桜美林学園を創立します。この清水安三がオーバリンに来た1924年、というのは人種間の分断や様々な学生運動のあった非常に重要な時期でした。彼の書いた論文が大学の文書館に残っていたり、いずれもっと深く調べてみたい人物の1人です。アメリカの人種の歴史というとどうしても白人と黒人ばかりが取り上げられますが、当時からいた日本人学生の経験はどうだったのかということを最近よく考えます。

 

もう1人、取り上げたいのがNakamura Masaruさん。漢字がわからないのでアルファベット表記にしました。オーバリンのキャンパスの目立たないところに、第二次世界大戦の慰霊碑が立っているのですが、そこにお名前のある方です。

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この慰霊碑はオーバリンの卒業生で第二次世界大戦で戦死した方々を祀っているのですが、Nakamuraさんは、日本軍として戦争に参加しました。90年代にこの慰霊碑を立てることになったとき、Nakamuraさんの名前を入れるかどうかで議論になったそうです。結局、多くの方が入れることに賛成し、いま、Navy, Japanという文字と共にその名前は刻み込まれています。留学生として、帰国子女として、海外と日本の狭間に悩むこともあった私にとって、この方の苦労は想像を絶するところがありました。自分が大学教育を受けた国が敵国になる、そして軍の一部として戦わなければいけない—そこにどれほどの葛藤があったのか、と思うと今の自分の状況を感謝しなければいけないと思います。またこういった先人たちがいるからこそ、いま私はオーバリンで学べているのだなと思うと感謝しかありません。

 

最後に、日本人ではないのですが、オーバリンの日本人学生にとっては大切な人物を1人記録しておきたいと思います。その方は、エドウィン・O・ライシャワー。名前を知っている方もいるかもしれませんが、元アメリカ駐日大使でした。この方、日本育ちで再婚相手が日本人だったというのもあり、当時はかなり人気を博したそうです。そんなライシャワー大使もオーバリン出身です。ライシャワーさんのように日米双方で教育を受け、両国の架け橋になる学生を生み出して欲しいという願いから、現在オーバリンにはライシャワー奨学金、という奨学金があります。これは合格した日本人に給付されるもので、私もライシャワー奨学生です。この奨学金は私のオーバリン受験・選択を大きく後押ししたものだったので、ライシャワー大使には感謝です。ちなみに最近、この方の自伝を購入したので、夏の時間のあるときに読もうと思っています。

 

長くなっていましたが、オーバリンの歴史の一部を取り上げてみました。非常に奥の深い歴史を持ったこの大学に来れたことにはすごく感謝していますし、もっともっと学びたいなという思いで一杯です。そして、ここでは取り上げられなかったものの、今までの道を築いてきた日本人の卒業生の方々がいる、というのはやはり勇気付けられます。日本人だからこそ、留学生だからこそ、できることというのを考えていきたいです。